黒田清隆さんについて

ブログ

※当記事はブログお引越し計画に基づき、2018年2月に旧カゴシマニアブログに掲載されていた記事を加筆、修正したものです。あらかじめご了承ください。

FOOLさん作
※あまり似てませんね(^◇^;)

WEBレディオ「鹿児島のすごい人」

カゴシマニアのWEBレディオ第2回のテーマは「鹿児島のすごい人」でした。

2018年の大河ドラマ「西郷どん」を見るまでもなく、日本史全体を見ても偉人・傑物・スターの多い鹿児島。

特に戦国〜幕末にかけては、近代日本の礎を築いたといっても過言ではない、数多くの偉人達が群雄割拠。

多方面に迷わk…もとい、影響を与えている。

そんな偉人銀座の鹿児島で、カゴシマニアが目をつけたのは、誰あろう第2代の内閣総理大臣でもあった偉人中の偉人…

黒田清隆さん!

です。

名前的にはそんなにイカツイ感じはしませんが、むしろ「い」「盛」など流麗な響すら感じさせますが、果たしてどんな人物だったのでしょうか?

毎度お馴染み偏見とフィクションにまみれたカゴシマニア的解釈で、掘り下げてみたいと思います。

あ、気になった方はぜひまずカゴシマニアのWEBラジオからお聞きください。

鹿児島弁でのテゲテゲ=テキトーなクオリティで、無理なく鹿児島のすごい人について知ることができますよ(笑)

※ラジオでも少し触れておりますが、このコンテンツは半分フィクションと偏見で構成されております。したがって歴史的・資料的価値はあんまりございません。その点、ご了承くださいますよう、お願いさげもす。

黒田清隆という人

生まれは天保11年。天保で言われてもよくわかりませんね。西暦になおすと1840年の生まれ。今から180年程前のお方なのですねぇ。

早速時は移って文久2年。

文久で言われてもよくわかr(ry。1862年、清隆さん22歳。

鹿児島人では知っている人率の高いと思われる【生麦事件】に居合わせていらっしゃったそうです。

(島津の将軍様の御前を横切った外国人をブッた切ったといわれる事件ですね。詳細はググッと調べてください。)

さて黒田の。

若いとはいえ薩摩隼人。戦国の世、

「薩摩の初太刀は必ず避けろ」

と言わしめた示現流(じげんりゅう)の使い手であった清隆さんは、しかし冷静に抜刀する仲間たちを諌めていたそうです。

※ちなみにFOOLさんが気になっている生麦村の地名ですが、場所は神奈川県横浜市鶴見区の地名。徳川2代将軍・秀忠(在任1605年~1623年だから、生麦事件はなんとその約200年後!?)の行列が通ろうとした際、水がたまって通行できなかったことがあった。そこで焦った村人が街道の生麦を刈り取り、その上に敷いて将軍様の通行を助けた。それに感謝した秀忠が、「生麦」という地名を下賜されたことが由来だそう。なんといっても村人の心意気がイカす!すげぇぜ生麦村人!

マルチタレント清隆

生麦事件の翌年、文久3年。そう西暦で言ったら1863年ですね!

生麦村で英国人にチェストしてしまった薩摩と、怒ったイギリスとの間に薩英戦争が勃発してしまいます。

そこにも我らが黒ピーは参戦。

持ち前の示現流のみならず、砲撃にも長けたようで、後年江戸で本格的に学び、皆伝まで受けてしまったそうです。(ちなみに示現流も皆伝。)

その後も北海道の開拓使、対外外交などに奔走。

器用さと視野の広さに、カゴシマニアのFOOLさんも驚いている模様。

しかし征韓論では慎重さからか、西郷さんとは反対の立場に。

生麦事件のときもですが、いつも冷静沈着だったんでしょうね。

しかし皮肉にも、持ち前のスキルと先見性から手塩にかけて育てた屯田兵は、西南戦争に駆り出されてしまい、薩摩ラストサムライたちとぶつかってしまう。なんて悲しいんだ!

酒乱

読んで字の如く、

「酒に乱れる」!

はい、良い言葉ではないですね(^◇^;)

ラジオでもPONさんが言っておりますが、黒田氏、飲めば必ずと言っていいほど暴れる…極度の酒乱だったそうです。

明治11年。明治でいw…1878年ですね、はい。

黒ピー38歳。

悲しいことに、愛する妻が亡くなってしまいます。

原因は肺を患っていたためだったのですが、平素の酒乱からか、酒を飲んで帰った黒田が、「出迎えが遅かどが!」と激情して殺したのだと新聞に載ってしまう。

そこを我らが大久保卿が擁護。

「黒田どんはそげな人じゃなか!」

しかし、頭が硬かったのか、当時の伊藤さんと大隈さんは法に準拠した厳重な処罰を!と息巻いていたそうで、これまた鹿児島の人・「大警視」川路利良さんの入念な捜査の甲斐あって、辞職をしようとしていた黒田どんの無罪がやっと証明されるという一大事件もあったそうな。

どんだけ酒乱がみんなに知れ渡っていたのかが伺えるエピソードですね(汗)

皆さんもお酒はほどほどに…

酒乱の件は、不名誉なことにウィキぺディアにもしっかりとサブタイトル付きで説明されており、暴れた挙句に木戸孝允に簀巻きにされ、自宅へ送り返されたという悲しい顛末も書かれてしまっている(^◇^;)ドンマイ黒ピー!

2019年版まとめ

なんだ結構面白おかしく真面目に調べているじゃないか>当時のスタッフさん

鹿児島の偉人は、シリーズっぽくしたいなぁとか思っていたのですが、

この後半分生放送とかゲーム実況とかやりだしちゃって頓挫中汗

コメント

Verified by MonsterInsights
タイトルとURLをコピーしました