ジョン万次郎という人物が凄い

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※当記事はブログお引越し計画に基づき、2018年2月13日に旧カゴシマニアブログに掲載されていた記事を加筆、修正したものです。あらかじめご了承ください。

※注意:大河ドラマ未見の方はネタバレかもです!

あ、でも執筆時点(2月13日)ではカゴシマニアも観てないので、そこまで心配いらないか(;’∀’)

2019年7月現在、さすがにもう「まだ見てないのに!なんてことしてくれたんだ!」という奇特な御仁はいらっしゃらないでしょう。むしろそんな文句言うなら検索するなよ!w

本名は中浜万次郎

前回の予告編を観て、

「劇団ひとり!?しかも英語喋ってる?!」

というところまでは知っていたのですが、ついついtwitterを見てしまい、彼が『ジョン万次郎』であるということは知ってしまいました(😉

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……………

ジョン万次郎って誰!?

  • 土佐の人
  • 英語得意
  • 沖縄行った?
  • なんかすごい人

そんなイメージだけは漠然とありますが…

カゴシマニア、マニアと申せども実はあんまりマニアになりきれておりません。

ジョン万次郎も、名前のインパクトからその名前だけ知っていたに過ぎないことに今気づいたので、ここに同類の方々のためにある程度の事を聞いたり、調べたりしてまとめておこうと思います。

若かりし頃の万次郎

1827年1月27日、土佐国の中ノ浜村の貧しい漁師の家に生を受ける。

9歳の若さで父を失い、母も兄も病弱であったそうで幼い頃より働いて家族を養わねばならなかったそう。おかげで勉学にも時間が割けず、読み書きもほとんどできなかったそうです。

それでもしっかり登用されたそうですから、元来頭の回転が早かったのでしょうか。

14歳になった万次郎、雑用係として乗り込んだ漁船が沖合で突風に見舞われ、遭難の憂き目に遭います。

流れ着いた無人島でなんと143日間もサバイバルしたのち、アメリカの捕鯨船に助けられるも、日本が絶賛鎖国中のため故郷へ戻れないという幸い中の不幸…

紆余曲折を経て、捕鯨船員として生きていくことを決意した万次郎。

クルーからは「ジョン・マン」と呼ばれ親しまれたそうです。

この途上、初めて世界地図を目にしたジョンは、その中にある日本という国の小ささに衝撃を受けたと言います。そりゃそうでしょうね(;’∀’)

現代人ですらGoogleEarth見たとき日本の小ささにびっくりするのに(;’∀’)

1843年、航海を終えたジョンは船長の故郷であるマサチューセッツ州のニューベッドフォードへ降り立ちます。

船長に気に入られたジョンは、そのまま船長の養子として迎えられ、そこで大学に通ながら英語や数学、測量などなどの学問を修めたそうです。

やはり応用力に富んだ、聡明なお方だったんでしょうね。

「可愛い子には旅をさせろ」と言いますが、この遠大な旅路が、彼の頭脳に大きな影響を与えた事は想像に難くありませんね。

数年後、望郷の念からか帰国を決意。

路銭を稼ぐべく、彼がとった行動は…

まさかの

金!

当時ゴールドラッシュで沸くサンフランシスコへ渡り、なんと鉱山で金を掘る仕事に就くのです。…もう行動がアグレッシブ過ぎ。

そこで得た資金を元にホノルルへ渡り、かつての漁師仲間と再会できたそうです。

めでたしめでたし♩

半端ではない移動距離

生まれ故郷の高知県から伊豆諸島でのサバイバル、そこからアメリカでの暮らし、日本への帰路などなど、彼の辿った軌跡を見てみました。

地図蔵さんを参考にさせていただきました

あくまで概算ですが…

距離にして28018977.9m つまりは 28018.978 km…

これって凄いですよね?(゚o゚;;

2万8千kmって、地球一周が約4万kmとしたら半周以上…

すごいぞ万次郎!

薩摩での活躍

漁師仲間と無事に会えて、生まれ故郷の高知へ無事に戻ってハッピーエンド♩

…とはいかないのが稀代のトラブルメイカー・ジョン。

途上、琉球に上陸したところを、我らがワンパク薩摩藩にとっ捕まってしまいます。

鎖国下ですから海外から来たジョンに不信感を抱くのも、当時の情勢からは否めなかったのでしょう。

しかし!

彼は類稀なる幸運の持ち主だったのでしょう。

当時の薩摩藩主は、お由羅騒動を乗り越え藩主の座についた我らがワタナベケン島津斉彬公!先進的な考えをお持ちのお方なのは、ドラマでも既にご存知でしょう。

斉彬公に気に入られたジョンは、公の西洋に関する様々な質問に応じたり、アメリカで学んだ西洋の造船技術や測量・航海術を薩摩藩の藩士に教えたりと大忙し。

薩摩藩の開化政策に大きく貢献したことは、言うまでもないでしょう。

その後も薩摩藩の洋学校『開成所』の英語講師として、薩摩の教育に貢献してくれます。

地元・高知での活躍

薩摩藩での活躍の後、やはり怪しまれていたのか長崎の奉行所で踏み絵をさせられたり、持ち物を没収されたりとあんまりいい扱いを受けられなかった万次郎。

長期間の尋問を受けるも、やっとこさ地元土佐藩のお役人様に引き取ってもらえ、漂流からなんと11年ぶりに故郷の土を踏むことができたそうです。

おやっとさージョン

帰郷したのち、なんと士分に取り立てられ、藩校「教授館」の教授に任命!

有名な後藤象二郎岩崎弥太郎などを教えていたそう。すごいぞ、ジョン!

その後は周囲の奇異の目や不当な扱いを受けつつも、幕府から旗本(エライ)の身分を与えられたり、あの「日米和親条約」のために陰ながら助力したり、薩摩に戻ってまた先生したり、今の東京大学の前身である開成学校の英語教授をしたりと、後年の我々からしたら八面六臂の活躍を見せ、恩人である船長と感動の再会を果たしたりと相変わらずの破天荒ライフを送ったそう。

現代への影響

その凄すぎる経歴から、もちろん現代日本にも大きな影響を与えている。

・故郷の清水市は、彼の滞在先ニューベッドフォードと姉妹都市盟約を結んでいる。

・彼は聞いたままの英語を発音して使っていたとされ、それが未だ普通に英語圏の人に通じる事から、英会話でその方法を教えているところもあるという。

・ジョン万次郎生家: 平成22年になって、彼の生家が復元されている。入場は無料で年中無休だそう。行ってみたい!

・大河ドラマ「西郷どん」に登場。劇団ひとりさんが演じる。カゴシマニア未見。(早めに見ます(;))さすがに見ました!

参考文献

漂巽紀略全4冊;土佐藩の絵師・河田小龍によってまとめられた書物。漂流からアメリカでの暮らし、帰国までをまとめたもので、挿絵も多い。さすが絵師。あの虎『山内容堂』公にも献上されたと云う。

written by STAFF

2019年まとめ

読み返しながら、その破天荒な生涯にあらためて感嘆。

この人絶対今の日本にも良い影響与えてくれてるよなぁ…

大河ドラマ「西郷どん」、賛否両論あったし、

最後がまさかの展開で、

地元でも色々言われていましたが、 鈴木亮平氏や瑛太さんの好演・熱演、そして他の出演者さんも軒並み素晴らしい劇を魅せていらっしゃったことから、カゴシマニア内ではかなり毎回楽しませていただきました。

関係各位の皆様、まっこてあいがとさげもした!

ぜひ次は「大久保どん」で!

コメント

  1. […] ジョン万次郎には遠く及びませんが、 […]

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